そんな矢先の再発症。
この週末、日に3件の撮影が入っている過密スケジュールで、しかも子どもたち二人とも家にいる。私の手が必ず必要な2日間に、まさかの私のゾンビ状態(鬱の症状で、体が重く目がうつろ、言葉もあまり発することができず目の前で起こっている事が曇りガラスの向こう側のように感じららて、ボーっとしたまま何も反応することができない。そして目からは涙がボロボロ流れ落ちる)。
土曜日、来客予定のあった午前中はダメだったけど午後からの撮影には何とか……と力を振り絞ってスタジオに下りていったけど、側から見てダメだったのかな、夫から「2階で休んどきなさい」と一言。そして2階のソフトに崩れ落ちた。
主治医からは「あなたは数ヶ月間薬を服用すれば完治します」と言われた。
と、思い込んでいた。
よーく思い返してみると、多分「完治」という言葉は使っていない。
昨日、Instagram友達から「気持ちに水を差すようで申し訳ないけれど…」と気遣いながらも、こんな内容コメントが入った。
心の病には『完治』という言葉ばなくて、またぶり返す可能性もあるけど薬を飲まなくても大丈夫な安定した状態という意味で『寛解』という言葉を使います。
心に何らかの傷を負った人は、何かのストレスがかかるとその弱い部分に負荷がかかってぶり返してしまう。一度折れてしまった茎は、何も傷のない茎のようには綺麗に伸びることはなく、傷は消えることはないんだ…と。
私はこの言葉にとても私への思いやりと愛を感じて、同時にすぐに私がどんな状態にあるのか、今は安定しているけれど、何かのきっかけで鬱状態に戻る可能性はいつだってあるのだから、それを知った上で上手く付き合っていくべきなのだと、理解できて、心がすっと楽になった。
お互いの息子が自閉症持ちであることで繋がった彼女には、本当にありがとうを言いたくて、メッセージを送った。
心の病は完治しない。
私の父親はアルコール依存症で、私が6歳の頃に精神病院に4ヶ月入院しました。その後も長年、同じアルコール依存症の患者であったりその家族である人たちが集まって互いの経験をシェアしながら支え合っていく『集い』に参加し続けていました。その『集い』は断酒会と呼ばれるもので「アルコール依存症には完治という概念は無く、一生かけて酒の魔力と戦い続けねばならない、そのために皆で支え合っていきましょう」という趣旨が謳われていました。
私はまだ子どもだったけど、週に2度ほどの集いに一緒に連れて行かれるうちに、アルコール依存症のことを自然と学んで理解してました。自分の努力でどうにかなるものではないこと、病気の一種であること、お酒を止めることができても、また別の何かに依存してしまう危険があること、その闘いは一生死ぬまで続いていくんだということ。
父は12年前に脳梗塞で半身不随になり寝たきりで10年間を病院で過ごし、2年前に亡くなりました。そう、まさに12年前に動けず喋れずの状態になるまで、ずっと何かに依存して苦しんでたお父さん。
私の鬱は、まあ、そんなに苦しいという程でもないけど、症状が出てる間は夫や子どもたちに多少の負担をかけてしまう。自分自身も、自傷行為に走りそうなのを必死に抑える時もある。それを、今はお薬でコントロール出来ていて、たまにぶり返しもあるけれど、上手く付き合っていける。
個性の1つとして、自分の大切な一部分なのだと思って生きていけばいい。
Instagram友達のおなげで、そんな風にして、スッと心が楽になった。
「完治」とか「薬とサヨナラ」とか、そんな事へのこだわりもスッと消えてった。
思い返せば、Hayatoがまだ自閉症なのかどうか曖昧だった頃、必死にHayatoには障害なんて無くて自然に大人になるまでに完治するんだと自分を思い込ませて、現実からめをそらしてた。その時にとてもよく似てる。
今も通っている小児科の先生が、Hayato3歳児健診で「この子はどう見ても自閉症だよ。すぐ分かった」とスッパリ言ってくれた時の心の楽になったこと!!現実を直視したくない時の心よりも、現実を真っ直ぐに受け止めることですべてが楽で前向きになれること。
アルコール依存症だった父は、そのことで家族から責められ続けていたことで、きっと苦しみから解放されず、次々に色んな依存症になって苦しんでいた。私だけでも、受け入れてあげればもっと楽になれたかもしれないのに。
Hayatoの障害のことは、私よりも夫の方が本当に自然に何でもない当たり前のことのように受け入れている。私の鬱のことも、受け止めてくれている。夫は支える側なので、かなり苦しい時も多いはず。私はせめて、自分の鬱体質を受け入れて、完治などにこだわらずに上手くコントロールしながら、楽しく毎日を生きること!これが、支えてくれる夫や子どもたちへの恩返しなんだと思う。
うつ病を発症したことで、気付くことができた大切なことや、得ることが出来た大切なものや存在もたくさんある。(その中からとっておきのエピソードを今度書きます)
そして、少しでも、死んだお父さんの魂にも寄り添うことが出来ていたらなぁ。
Chieさーん、おはようさんです♪
返信削除かくいう自分もそううつ。
そうもあるから、そりゃもう大変!
もう20年のお付き合いよ♪
でも、それをまるごと受け入れてもらえてる。
そういう自分も、受け入れられなくてしんどいこともある。
でも、受け止めるだけで大分違って来るようになったよ♪
自殺行為で傷もんの体にはなってしもた(幸い顔ではなく服で隠れるから、ただ、お嫁に行けるのか(笑))けど、
経験談として、そういう方向へ陥りそうな子に
『自分のような病気もいる』
『自分のような経験はさせたくない!』
と、自分を反面教師にするものの、話すことや共感することができるっすよ♪
うつ何だって?
そう診断されてよかったやん、
診断されずに受け止められない人もいてはる。
Chieさんも現実を受け止めようとしてはる、
十分偉いよ♪
それに、
そういった病も、悪いことだけでなく、
いいことももたらすよ。
ちなみに、
自分は同じ類いの病だけど、
親友を得ることも出来た、
親を泣かさずに大切にしなければならぬと気づかされた、
自分を必要としてもらえる人たちのためにも生かされていることを、生きなければならぬことにも気づかされた。
無理はしなくてええんやで。
しんどいときは
出来うる限り、ゆっくり過ごそう♪
この類いの病の人たちが
状況がそれを許さないときでさえも。
無理が祟っては、寛解の状態どころか、ってことになってしまうから。
幸い、旦那さんのご理解があるのは
幸せに思うなぁ。
Chieさん、不幸な人じゃないよ~♪
Chieさん、
じっくりぼちぼちいこか~♪
djungarianhamより
p.s.
長文乱文で
さらに、えらそうやったり、傷ついてしまったりしたら
ホンマにホンマにごめんなさいm(__)m